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デ1型 2号車


△木材を積んだ貨車を従え、水城を目指す2号車

−実車(ノン・フィクションの世界)−

北恵那鉄道は、中央西線中津川駅に隣接する「中津町駅」から、
付知川上流の町、付知町の町はずれ「下付知駅」までを結んでいた鉄道です。
木曽川にダム発電所ができることになり、船を使っての木材輸送ができなくなったことから、
代替手段として、木材を輸送する目的で敷設された鉄道でした。

デ1型は、開業時に用意された電車です。
上記目的から、当初より機関車としても使用するつもりだったらしく、
最高速度は遅く、しかし力のある電車として製造されました。

戦後、名鉄傘下に入ると、名鉄各線からの中古車達が転入、
デ1型は置き換えられてしまいますが、その中のデ2だけが、中津町駅の入換機として存続。
国鉄中津川駅と中津町駅の間で貨物の受け渡しをする仕事を黙々と続けました。
最後まで、機関車としての命を全うし、1978年、北恵那鉄道の廃線とともに廃車。
廃車後は、中津川市内の公園で近年まで保存されていたのだそうです。
(参考:RM LIBRARY32 北恵那鉄道 清水 武 著)


△紅葉のトンネルを抜ける

−水城鉄道での設定(フィクションの世界)−

1969年、国鉄中呂線の開通に伴い廃線となった北恵那鉄道から譲渡され、入線。
足は遅いが力があったため、客車列車の牽引や混合列車の牽引に活躍。
そのうち貨物需要が減少すると、足の遅さが目立つようになったため、短区間の運用を中心にこなし、
最終的には記念橋駅の構内で入替用として用いられた。
1993年に廃車となったが、末期には貴重な北恵那鉄道の生き残りとしてファンに人気であり、
小さな車体で動き回る姿は水城鉄道のマスコット的な存在であった。


△ガチャガチャ入替作業をする姿がファンに人気であった。


△80年代も末になると普通列車にも冷房車が入るようになり、非冷房の旧型車は敬遠された。

−模型について−

プラ板からのフル・スクラッチ作品です。
ゆえに、各所のつくりは甘いですが、
何より自分の手で一から作った電車。愛着もひとしおです。

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